• シネマ神戸でシャンタル・アケルマンの『囚われの女』を見る。この映画でシモンと呼ばれるプルーストの「私」は、高橋康也の論じるベケットのようなプルーストだ。シモンのふるまいは「悲愴であるが、同時に滑稽でもあ」って「すなわち道化」であり、シモンは自分を、どんなものに「接しても何も思い出すことができぬほどの健忘症である」と語る。「ベケットにおける恩寵の喪失はプルーストとは比較にならぬほど悪化している」と高橋は書くが、アケルマンのプルーストでは「恩寵の喪失」はベケットのそれと比肩するほど「悪化」させられている。サビーヌ・ランスランのカメラもとてもいい。この映画では《コジ・ファン・トゥッテ》が歌われるのだが、アケルマンのモーツァルトの使い方は本当に変わっている。
  • そのまま続けてアケルマンの『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス湖畔通り23番地』を見る。ずっと見たかったが自分には機会のなかった映画の一本。ここには確かに抑圧と暴力と性欲の街であるブリュッセルがしっかりと映っていると思った。
  • グザヴィエ・ロトとレ・シエクルによるドビュッシーの《ペレアスとメリザンド》を聴いている。とてもいい。ようやくこのオペラの面白さが判った気がする。