• 仕事を終えて、シネリーブル神戸で柚子と待ち合せてポール・トーマス・アンダーソンの『リコリス・ピザ』を見る。私のPTAの映画に対する期待値が高すぎるのか、憔悴しきっている映画にしか見えなかった。素敵なシークェンスもあるのだが、それが映画全体のグルーヴに昂揚してゆかず、疲弊ばかりを感じる。
  • トラックがガス欠を起こしてしまうシークェンスがある。トラックは後ろ向きに坂道を降りてゆくのだが、これは走っているのではない、転がっているだけなのである。燃料が切れてしまっていて、自慢のエンジンは動かない。これが今のポール・トーマス・アンダーソンの映画なのではないか。
  • 1970年代の映画やカルチャーをシミュレーションしている映画なのだと言う人もいる。そんなことは判っていて、問題は、なぜそれをPTAはやっているのか、そうすることで映画を走らせることができているか、なのである。前のように走ることができない、PTAの焦燥ばかりが伝わってくる。長いワンショットは、カットを割らない強さの表れではなく、カットを割れない弱さなのではないか。私もすっかり疲れて帰宅する。