• ハーバーランドのOSシネマズでクリストファー・ノーランの『オッペンハイマー』を見る。
  • 傑作と呼ぶほどではない。世界が存在して、動いていることの恐怖に憑かれている青年がいて、彼は量子力学の物理学者なのだが、それを分け持ってくれない人々に対して、まずは巨大な星が終わりを迎える時に収縮してゆくブラックホールの研究を問うが、ヒトラーポーランド侵攻も始まり、天空の孤絶した穴ぐらいでは誰も彼の恐怖を分け持ってくれることはなく、ならばと原爆の開発に率先して取り組むことで、地上に大きな穴を開けて見せるが、それは黒焦げの子供の身体を靴で突き破って穴を開けることでしかない。
  • 彼のリーダーシップによって原爆が炸裂しても、それは破壊力の大きさとか彼の人格の尊大さとして人びとに伝わり、それでは意味がないので、ただのエスカレーションの問題となった水爆づくりには積極的な荷担はしないが、原爆づくりには精を出したくせにどうして水爆の父にはならないんだ、おまえは敵のスパイだと、ますます彼の裡なる恐怖は理解されずに糾弾される。そもそも彼の奉ずる物理学の視点から見れば、世界は可能性でしかなく、チェイン・リアクションが起る可能性がゼロではないかぎり、世界は破壊されていないこともないのだから、血だらけの手を握ってくれる妻と、家に籠るしかない。
  • 砂漠の実験場で爆発の瞬間を待つ巨大な卵のような原爆から延びる無数のコードは、もちろん女の髪である。
  • ノーランの映画だったら『TENET』のほうが好き。ロバート・ダウニー・Jrの気合が入りすぎているときの仲代達矢アル・パチーノみたいな芝居はどうかと思うし、そもそもこのパートは全部切ってしまってもいいぐらいだし、黒白とカラーを分けることがそれほど面白いわけでもないし、いつものことだが、時間を頻繁に進めたり戻ったりする話の進め方が効果を上げているわけでもないし、ミニマルな音楽を台詞と同じぐらいのヴォリュームでガンガン鳴らしまくるがノイズの快楽に通じるわけでもない。だから、これを見ても、やはりノーランはそれほど面白い作家であるとは思わないが、まじめに撮られているのは確か。広島と長崎の光の炸裂による殺戮を真っ黒な画面の挿入で表現するのはいいと思った。ホイテマの撮影は、特に水が美しく、キリアン・マーフィの木彫りの彫刻のような顔も、エミリー・ワトソン仏頂面も、彼女に嫌われるベニー・サフデイの演じるエドワード・テラーの訛りまくった英語もいい。