• ベンハミン・ラバトゥッツの『恐るべき緑』を読み終える。エピローグの「夜の庭師」がくっついていることをどう評価するかだと思うが、これがあるから独特の印象を残す「歴史」についての(語り方も含め)小説になっていると思った。

  • ノーランの『TENET』をAmazonのプライムビデオで再見する。操車場の、上りと下りで貨車が行き交う間で、CIAがロシアのマフィアに拷問されているシークェンスは本当に素晴らしい。これをずっと見せてくれるだけでいいのに。それをやる胆力も覚悟もノーランは持ち合わせていないので、細切れにして繋いで、派手な音で、大きな画面で上映して、これこそが映画の体験だと嘯くのだ。『TENET』は、ノーランの良さも駄目さも全部もろに出ている映画で、だから今のところノーランでいちばんいい映画だと思うのだが、それは設定そのものが小細工のきわみで、小手先の編集ごときでは逃げられない制約のゆえだろう。もちろん、デジタルカメラで撮ることが当たり前になって、ワンショットの長回しなんか何の計画もなしにやれてしまうので、それさえやれば映画ならではの体験が滴り落ちるなんてことは言えない。だからこそ、編集というものの力をどう解き放つかということが、ますます映画において大切になっているのだが、それがノーランのような方向性であるとは決して思えない。

  • 昼前から柚子と新幹線で名古屋まで出かける。ベンハミン・ラバトゥッツの『恐るべき緑』を読み始める。ナゴヤドームSixTONESの《VVS》を見る。松村北斗は『夜明けのすべて』で『すずめの戸締まり』だから、いい声なのだが歌声がいちばんいいと思う。京本大我はときどきごりごりの男の子になるのが面白い。森本慎太郎は何とも言えずいいなと思う瞬間がある。しかし、ずーっとよかったのはジェシーだった。サイリウムも赤だし。ナゴドを出ると雨。

  • 昨日の夜中引っ張り出してきたグリンゴルツ弦楽四重奏団の録音でシェーンベルク弦楽四重奏曲の《3番》と《1番》を聴いている。奏者の息遣いも入っている録音で、とても厳しく力のこもったゴリッとした演奏で、これも大変いい。
  • 朝永振一郎の『鏡の中の物理学』を読み終える。とても面白かった。「いまその、鏡にうつったのがどうとか、フィルムにうつして逆にまわしたらどうとかいうようなことは、それを研究したところで、ほんとうをいうと、それは人間を幸福にもしないし、不幸にもしないわけです。で、科学をこういう面から見るかた、第三の見かたですね、これを忘れないでほしいように思うわけです」。

  • 朝は早く起きて新幹線。坐ってしばらくするともう眠っている。昨日の夜から読み始めた林晋の『ゲーデルの謎を解く』を読み終え、ロベルト・ユンクの『千の太陽よりも明るく』も読み終える。朝永振一郎の『鏡の中の物理学』を読んでいるうちに東京に着いて、大手町まで歩いて、表参道まで。「ファーガス・マカフリー東京」でアンゼルム・キーファーの「Opus Magnum」展を見る。水槽の底が支持体であるとするなら、これらはやはり絵画なのではないか。「seeen」で、ボッテガ・ヴェネタを撮ったアレック・ソスの「TOKYO PLAYTIME」展を見る。新大阪の駅で買った「ガーリックとオニオンが効いたソルティーナッツ」をときどき食って、ペットボトルの烏龍茶を呑んでいる。上野まで出て、花見客の間を縫いながら写真を撮る。東京藝大の中の「奏楽堂」で、ディオティマ弦楽四重奏団の「シェーンベルク弦楽四重奏曲全曲演奏会」を聴く。とにかく《1番》の集中ぶりが凄まじかった。あとは《4番》も非常に良かった。《2番》は録音で聴いていると、シェーンベルク弦楽四重奏曲の中で最もいい、ぐらいに思っていたのだが、実演に接すると少し印象が変わった。大変満足して、新幹線でとんぼ返り。

  • 阪神電車で福島まで出て大阪中之島美術館の「モネ 連作の情景」展を見る。浜に上がっている三艘の漁船やノルマンディーの断崖や夕暮れのウォータールー橋など、そういうタイトルが絵の脇についているが、私が好きなのはこれらの表面の絵の具の粒立ちや筆致や筆痕なのである。とは言え、たとえば《ヴェルノンの眺め》と題された絵の前に立って、じっと画面を見ていると、グレーと茶の混ざった筆が作ったひょろ長いハッシュタグのようなものが、いきなり頭の中に、確かな質感と、それがそこに紛れもなく在るという空間を伴って、草原の中にぎくしゃくと見える木製の柵として立ち上がる瞬間がある。それがとても面白い。