冬の猫が好きと妻が云ふ。

  • 朝起きて、風呂掃除と洗濯。『磯崎新の思考力』のなかの、万博と丹下健三を語るインタヴュのそれぞれを読み、ふと、竹内好の『日本とアジア』のなかの、「方法としてのアジア」を読む。
  • 私の作業するパソコンの裏で眠っていた「しま」が、いつもいきなり聞こえてくる(たぶんそれは彼らが向こうの道からやってきて、隣家の角を曲がった瞬間から、なのだろう)学校がえりのガキどもの喋り交わす、ひと塊のざわざわとした金切り声に耳をそばだて、やがて、むくりと起きあがると、PCのキィを叩く私の手を踏み越えて、行ってしまった。しばらくすると、気配もなく帰ってきて、今は椅子の下で、何かをせがむように、「ふにゃあ」と鳴いているのだ。
  • 夕方からアルバイト。
  • 就職活動が始まり、些かナーバスになっておるらしいバイト先の同僚と、駅前で二時間ほど立ち話(彼曰く、今は音楽が売れない時代なのではなくて、いい音楽がない時代なのだ、と)。私に社会人としての意見を求めるのはどうかと思い失笑しつつ、少し意見を述べる。その帰り道、夜中のマクドナルドで、読書の続き。丹下の生前、磯崎が20世紀の最後の年に師を語る。

弁証法をもちこむ丹下さんに対して、そこでもう一歩踏んばってもらいたいたことがたくさんある、というのが、僕の丹下観ではあるんです。弁証法をいう前に、対立というものをもっと突き詰めてもらいたい。そうすると、実は弁証法にはならないのではないか。ところが丹下さんには弁証法的にやって自分はもうひとつ上へ行くというスタンスがあって、それであの論理が出てくると思うんですよ。ですから僕としては、その対立をもうすこしちゃんと見極めて、極端にいうとどちらかに突っ込んでもらうほうがいいんじゃないかというぐらいに思うんだけど、そうはいかないところがある。丹下さんの場合、はやくディアレクティークに行き着きすぎる。ですから、縄文・弥生という概念があって、基本的には弥生から縄文にシフトしたわけですが、その際に、最後は弁証法的に統合されたんだというふうに結論づけちゃう。論文の構造がそうなっている。そして弁証法にしてそれが収まったと思う構図があるわけです。ただ、僕はアウフヘーベンが壊れた、成り立たないというところから出発したいと考えたせいもありますよ。

  • 帰宅して、蒲団に潜り込む。竹内好の「方法としてのアジア」(初出は1961年)より。

中国と日本の関係で見ますと、第一次大戦が転機になる。あれ以前は大体うまくいっているのですが、ちょうどあすこで、中国におけるナショナリズムの勃興と、日本が三大国になって、中国に対する侵略を強化するのとがクロスする。その典型が二十一ヵ条条約と、それへの抵抗運動である五・四です。つまり、明治維新が一つの模範になって、アジアの近代化を刺戟したが、他国は明治維新の型で改革をやろうとしても、うまくいかなかったわけです。そこで別の型を編み出さねばならなくなった。ところが日本は、自分の歩んだ道が唯一の型であると固執した。そのために今日のようなアジア的と非アジア的の内部分裂をもたらしたと思います。

日本には戦勝の理論的な予見がなかった。負けるということを念頭に置くことを回避していた。日本の戦争理論では、すべて、負けることはあり得ないという独断から出発している。それが後になるほど強くなる。戦争というものは、勝つこともあれば負けることもある。負けることを考えるのを回避するのは、すでにそこで負けているわけです。理論的な解決をしてないから。(……)今日からでもいいから、戦争の見方を変えて行かなければならないでしょうね。

現代のアジア人が考えていることはそうではなくて、西欧的な優れた文化価値(自由とか平等とか)を、より大規模に実現するために、西洋をもう一度東洋によって包み直す、逆に西洋自身をこちらから変革する、この文化的な巻返し、あるいは価値の上の巻返しによって普遍性をつくり出す。東洋の力が西洋の生み出した普遍的な価値をより高めるために西洋を変革する。これが東対西の今の問題点になっている。これは政治上の問題であると同時に文化上の問題である。日本人もそういう構想をもたなければならない。