筒井武文『バッハの肖像』、池田亮司《superposition》

  • 雨。昼前から神戸映画資料館まで出て、筒井武文の『バッハの肖像』をみる。
  • 新長田駅前の、大丸が抜けて西友が入ったショッピング・センターの地階で、「ういろや」の支店を探すと幸いまだ店は残っていて、抹茶味のういろを一本買う。
  • そのまま出町柳まで出る。叡山電鉄にひと駅だけ乗り、初めてゆく古本屋を覗いてから(「福田屋書店」。こぢんまりとしているが百円棚の表情も豊かで、しっかりとしたよい古本屋だった)、雨のなかを京都造形芸術大まで歩く。池田亮司の《superposition》をみる。
  • これまでの集大成のような部分と、ふたりの男女が登場して細長いテーブルに坐ってエレキーを叩いてモールス信号を送りあったり、シートをペンで塗りつぶしたりするパフォーマンスを行う部分のふたつがあり、私は後者を概ね、とてもよいと思った。他愛ない行為を繰り返しているふたりの男女のそれを、音と光のほうからだけ眺めるとどのようにみえるのか、を実験してみている、そんな恋愛映画をみているようだと思ったからなのだ。
  • 昼にみた映画のなかで鈴木雅明がバッハの《ヨハネ受難曲》を語って、サイコロの目がくるくる変わるのを表現するのに、バッハはチェロに猛烈に速さで弾くことを求めているというようなことを述べていたのを、ふと思い出す。
  • MT君もきていたので(彼は明日もみるとのこと)一緒にバスで四条まで出て、バス停の前のマクドナルドへするっと入り、遅くまで映画のこととか、仕事のこととか、友人たちのこととか。