• 佐藤哲也さんが亡くなられたことをけさ知る。とてもつらい。ご冥福を。
  • 東京都写真美術館で「風景論以後」展を見る。瞠目の展示というほどではなかったが、並んでいるものがもともと大好きな清野賀子や中平卓馬大島渚なのだから、それだけで楽しい。崟利子の映像作品は初めて見たが、ごく近所のとてもつまらないがかけがえのない風景で、デュラスのようなことをやっていて、とても面白かった。今井祝雄のシステマティックなスナップ写真は本当に面白いし巧い。清野賀子はやはりとても好きだ。
  • ちょうど上映開始だったので、坐って『略称・連続射殺魔』を見る。堂山のツタヤで若松孝二の代表作が一気にVHSになったときに一緒に借りて見た(寝た)とき以来。カメラは固定で、ナレーションなしの記憶だったが、ときどきカメラはエモーショナルに動き、「彼」の放浪の経緯を伝えるナレーションが入る。あちこちの駅前が映るが、そのどこにも「日本万国博開催まであと××日」の電光掲示板があり「万博」という居酒屋さえある。圧倒的な「風景」による蹂躪である。その「風景」の暴力性を自覚しつつ、それを内破しようとしたのが万博に参加した前衛たちの選択だったのだろう。万博に集った方も叛った方もどちらも「風景」を押しとどめる力は持ち得なかった。この映画を含め、あの時代の鋭敏なアーティストたちの多くが、永山則夫へのシンパシィを表明するのはなぜなのかよく判らなかったが、アメリカから武器を奪ったことへの興奮と、にもかかわらず撃つべき相手を「無知」のために知らず、無駄弾を撃ってしまったことへの憐憫を、彼らが過剰に読みこんだためではなかったか。
  • サントリーホールで「湯浅譲二 作曲家のポートレート」を聴く。2階の席の一列目。クセナキスの音の奔流にしたたかに溺れる。とても良かった。《オーケストラの時の時》はきわめて見通しのよい演奏だった。新作の《オーケストラの軌跡》は五分程度だったが、清冽ないい曲だった。
  • 聴きに来ていたN君やM君とS先生、店を閉めてから来てくれたTさん、久しぶりに会うNさんと新宿の「千草」で呑む。あと一軒「陶玄房」に寄る。M君とNさんと話していると、「批評家というのはブルース・ウェインなんだ」とNさんが言う。大いに励まされる。零時発の深夜バスで帰路。