私はシバリョーがキライだ。

  • 昼過ぎから柚子と大阪に。結婚式場で当日の段取りの打ち合わせ。
  • 前の職場の同僚たちと夕食を取る柚子と別れ、地下鉄で日本橋に。別れる前に、給料日前なので柚子から千円を借りる。ありがたや、ありがたや。難波から心斎橋の古本屋をぶらぶらと巡る。
  • 帰宅後、戦前昭和の政治家の幾らかは、いつテロルの白刃に倒れるかも知れないと云う危機感と云うか覚悟をもって政にあたっていたのであり、そういう意識のない現在の政治家たちの大半、例えば小泉首相なんぞ髪形はライオンでもライオン宰相・浜口雄幸のような精悍さはその風貌の何処にもない、嗚呼、現代と云う時代の情けなさよ!と云うような話をぶっていたのだが、いきなり柚子が「嗚呼、明治は良かったって云う司馬遼太郎と、明治と昭和が変わっただけでアンタも屁理屈のかたちは一緒じゃないサ」と突っ込まれる。そのときは虚を突かれたのでちゃんと反論できなかったが、此処で反論を。
  • 別に私は昭和全面マンセーではないのよ、司馬遼太郎の明治みたいに或る種の理想郷とするのではなく、昭和の偉大と卑小を共に認めるべきだと云うておるだけなのヨ。で、そのなかで、最も昭和の特徴が顕著なのが、昭和陸軍だと私は思っている。だから、昭和陸軍の功罪のどちらかだけを恣意的に抽出して礼讃したり罵倒したりするのではなく、キチンと評価すると云うことが大事なんじゃないかと、私は思うておるわけなのヨ。ダメなものを操作して立派なものに見せ掛けたり、立派なものにダメだと泥を塗るのではなくてネ。ウン。
  • だから、私は紛れもない保守反動で核武装賛成論者だが、本屋に平積みにされた『嫌韓流』を熱心に読んでいる中学生などを見かけると、まったく嫌な気持ちになる。もう少し上等な本を読めよと思ってしまう。
  • 別に私は、韓国の一部のメディアや中共の連中の垂れ流している反日メッセージが正しいなどとはこれっぽっちも思っていない。だが、彼らに対してムキになって云い返すのはもっと嫌だ。同じ土俵に下りるのは御免被る。それは下品だからだ。下品なことはしたくない。日本を愛しているなら、超然たる態度で茶でも点てながら、黙って核ミサイルをズラリと並べるだけで良いではないか。「反日趣味の諸君は元気だなぁ、ハッハッハ」で良いではないか。
  • 日本は謝罪外交をやめろと云う根強い意見がある。しかし私は、日本はアジア諸国に、そして日本国民に、全然詫び足りないと思っている。「大東亜戦争に負けてしまってゴメンなさい!」と、日本はまだ謝罪していない。「負けてしまった所為で、皆様には戦後いろいろと御迷惑をお掛けしました!」と謝罪していない。朝鮮半島の南北分断も、ヴェトナム戦争も、日本があの戦争にさえ勝っていれば、おそらく起こらなかった筈だ。
  • 日本があの戦争に勝っていたら、軍人がブイブイ云わせてますます碌でもない国になっていただろう、だから負けてよかったんだと云う見解もあろうが、私は決してそんなことはないと思う。そもそも、やる限りは絶対に負けてはいけないのが戦争と云うものだ。そして、当時の日本の国力では、軍人が戦後、肩で風を切って歩けるような大勝利は不可能である。さらに同様の理由から、戦後の日本が、アジア諸国を軍事力でギチギチに締め付けると云うこともできなかっただろう。大東亜会議などなくとも、朝鮮半島を含め、アジアの諸地域が戦後から程なくして独立を達成するであろうことは、自明のことであると私には思えるのだが。
  • まあ、ひと言だけ付け加えれば、朝鮮が日本を悪しざまに云う気持ちは判らなくもない。日本は明治維新以降、近代化をみずからで何とかかんとかやり遂げた。そして朝鮮の近代化は、地政学的な必要から、日本によってその多くを達成させられた。だから日本人の方が優秀だなどと云いたいのではない。近代化を行う際の痛みも喜びも、つまり朝鮮はみずからのこととして味わうことができなかったと云うことに、嘗て近代化の果てに世界を敵に回して戦った日本人の末裔ならば、少しは注意を向ける余裕を持つべきなのではないか?