エチュードを聴きながら

  • ジャン・バラケの「エチュード」、五分強ほどの小品だが、めちゃくちゃ凝縮されていて非常に格好良い。
  • 近所の美容室に卵を買いに行ったり、姑の蒲団を干して入れたり、柚子が用意してくれていたナンとキーマカレーを昼食に食べたほかはずっと部屋で、殆どその総てがブロッホの『ヴェルギリウスの死』のオペラ化のための習作であるバラケの諸作と、彼の宿敵であったブーレーズが指揮するドビュッシーの「海」をとっかえひっかえして聴きながら課題(10枚の音盤のなかからひとつ選んで音楽批評を書いてくる)をコリコリと書いてゆく。私のは田中フミヤの『via』を巡って、ジョージ・スタイナーの「沈黙と詩人」などを補助線に、音楽と言葉のズレのことを。夕方、推敲も殆どしないで書き上げたものをメーリングリストで送る。姑が電話を呉れて、少し話したが、病院に行く暇はなく、バタバタと梅田へ。
  • 夜行バスに揺られるうち、もう少し整理すべきだった箇所、加筆すべきだった箇所が判ってきて、つくづく私は書くことと考えることが結び付いているのだと、しみじみ。それから、私には、書きあげてから、すこし寝かせる時間が絶対に必要である。だから、あと一日早く書いてしまうべきだった。