ヘールシャムから。

  • 松本復興相の辞任会見の全部を遅ればせながらみる*1。突然、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』が出てきたのはどういう文脈でなのだろうかと思ったからだが、会見を終えようとする司会の発言を遮り、復興相は、震災後、被災地の子供たちが書いた作文が、そのまま載っている雑誌『つなみ』*2を記者たちに配ると云いだす。そのとき私は、松本復興相は自身をヘールシャム寄宿舎の校長に、被災地の子供たちをヘールシャムで暮らす生徒たちになぞらえているのだと思った。前者はどうだか知らないが、後者の見立ては、概ね妥当しているだろう。
  • 『わたしを離さないで』で展開されるテクノロジー批判は、多数者の幸福のための犠牲は、どういう場合どの程度までなら許容されるのか?と云うずっと昔からある問題と、20世紀後半のバイオエシックスの混合物である。よく制御することのできぬテクノロジーを、しかし使えるから使ってしまうことに対する批判としては、使い古しの、きわめて凡庸ななりをしていると云っていいだろう。しかし、だからこそ、今、福島で起り続けていることには、『わたしを離さないで』は、その凡庸さに於いて、まったくぴったりな書物である。事故の規模やその被害が、これまで私たちが経験したことのないような大きさであることと、しかし事故そのものの凡庸さ、溜め息が出るほどの救い難い凡庸さのために起きてしまい、しかもまだまともな着地点さえ見つけられぬようであるということは、些かも矛盾しない。
  • ところで、『わたしを離さないで』は、カズオ・イシグロの小説より、それをマーク・ロマネクが撮った同名の映画のほうが断然優れている。
  • リハビリに行き、正午過ぎ、帰ってきて昼飯を食っていると勤め先から電話があり、お客から指名があったので急遽三時から入れるか?とのこと。慌てて風呂に入り、そのまま夜までアルバイト。雨が降っている(朝はよいお天気だったのだが洗濯物を取り込むのを忘れていた)。本屋をぶらぶらしてから帰宅する。
  • 123君と電話で駄弁る。
  • サイ・トゥオンブリが亡くなったそうである。R.I.P......