• 目を閉じた瞬間、烏の啼き声が聴こえると、それはまず頭のなかで啼いたのだと思うが、瞑りかけた目を開けて、耳を澄ますと、それが確かに、窓の外から聴こえた烏の啼き声であることが判る。そんな朝の五時五分前。眠る。
  • 起きる。九時五分過ぎ。
  • 「無知」である私は「新たな知」を構成しなければならない時期にきている。ブルース・フィンクの『ラカン精神分析入門』には、こうある。

フロイトは知識欲動(Wissentrieb)についてときどき語ることがあったが、ラカンはそうした欲動を性に関する子どもの好奇心(「赤ちゃんはどこから来るのか?」)に限定した。ラカンによれば、治療において、分析主体の基本的な立場は知の拒否という立場、すなわち、知ろうとしない意志(à ne rien vouloir savoir)である。分析主体は、自らの神経症的機制、つまり自分の症状がなぜ生じるのかについて、何も知りたがらない。ラカンは無知を、愛や憎しみよりも強い情熱、すなわち知ろうとしない情熱として分類している。分析家の欲望のみが、分析主体に、この「何も知りたくない」という願望を克服させる。そして、ある種の新たな知を構成するという苦痛に満ちた過程を通じて、分析主体を支えるのである。

  • そして、此処でラカン派の知見が、分析主体が症状に固着し享楽していることと、分析家の欲望(「特定の対象に滞留しない純粋な欲望運動のようなもの」としての)に就いて述べることで語っている、最も重要なこととは何か?
  • それは云うまでもなく、ひとは、独りでは決して変わることができない、ということである。
  • 真夜中、Skypeでゼミ。私は一冊の書物のガイド役である。
  • まだ誰も知らないまったく新しい発見なり知見を私は語ることはできない。私には飛びぬけた独創性はなく、物事も極めてわずかしか知らないからである。幾ら既知のことを増やしても知らないことのほうがずっと多いことは、自身の非力や怠惰が情けなくて溜め息が出るくらい判っている。しかし同時に、それでも、知らないことを知ったときの驚きや喜びの激しいことは、よく知っている。私がかろうじてひとに教えることができるのは、ヨーロッパの哲学や近代史をほんの少し、文学、映画、クラシック音楽などを極く少しで、どれも、ほんのひと齧り程度だけである。しかし、そのひと齧りでさえ、これまでの私の人生を持ち堪えるには充分だった。これらのものに救われたからこそ、私は、ますますこれらを追い求めてきた(追い求めている)。もったいぶることも、過剰に謙遜することも、実際よりも知らないと思い込むことも、逆にむしろ知っているのだと傲慢になることも、それら全部をやめて、まったくほんの少ししか私は知らないという私のつまらなさを知りながら、知っていることは全部伝えてゆく。私はひとに教えることができることを殆ど持っていないが、それでも吝嗇こそ慎まなければならない。私がかろうじて知っていることをすっかり伝えてしまったとしても、それは決して目減りしないことを私は判るようになったのであるから。