• 朝ゴミを出して飯を食ってから、シネ・リーブル梅田で青山真治の『ユリイカ』を見る。公開時には会社の机に横長のチラシを貼って、退職するまでずっとそのままにしていたぐらいなのに、映画館で見るのは初めて。
  • 小学校の時の同級生(テストの答えを見せてやった程度で、親しかったわけではない。頭が悪くて気が弱くてイキりの、つまり馬鹿だった。小学校を卒業してから会ったこともない)が、十年ぐらい前に沖縄で死んで、その時のことを映像で見たような記憶があったのだが、それはこの映画で兄妹たちの父親の自殺のような自動車事故のショットだった(今調べたら同級生が死んだのは夜じゃなくて朝だった)。『ユリイカ』初見のときの自分は、青山真治という同時代の映画作家に厳しすぎたかもしれないと思った。アメリカ映画を懸命に模しても、どうしたって日本でしかなくて、ちょっとみっともないとすら思っていたが、幾らアメリカ映画をやろうとしても決してアメリカ映画になってくれないのが日本の映画なわけで、それは金村修が東京で幾らフリードランダーをやろうとしてもどうしても汚い看板やらが入ってくると言っていたのと同じだ。アメリカ映画でもヴェンダースでもいいが、それを真面目にやればやるほど純化された日本映画が出てきてしまうというのが、青山真治の映画だったのだ。土木工事の現場と、事務所の水の流れのあるどちらも朗らかでもの悲しいシークェンス、バスの壁の共鳴し合うノックと、それに気づかず眠っているものの安らかな寝顔のショットがちゃんとあることの優しさ、宮崎あおいがポラロイドで役所広司をシュートすることで、バスジャックの射殺の暴力が反復されながら別の場所に転り出るシークェンスの鮮やかさなど(アイラ―の《ゴースト》がこの映画で流れるのは象徴的で、あの時代からずっと私たちはゴーストに就いて、今も考え続けているはずだ)、田村正毅の見事なカメラも相俟って、とても美しい箇所が幾つもある。鳥の声を案内するラジオ、送られ続ける信号(窓辺の電燈、壁のノック)、奇妙な共同生活、噴出する暴力と殺人、総てを呑みこむ大洪水、と画面を見つめながら、もちろんジョン・フォード北野武も思い出しつつ、しかし最も大江健三郎の『洪水はわが魂に及び』を思い出した。『ユリイカ』がそれだったとすると、青山には、彼にとっての『懐かしい年への手紙』や『取り替え子』を撮る可能性もあったわけだ。R.I.P.
  • 須田亜香里が劇場公演で卒業発表したらしい。今日だーすーが劇場に出ていることすら知らなかったぐらい今自分はサケカスとしては終わっている。でも、よくここまで続けてくれたなあ、ありがたいなあという気持ち。須田亜香里がいなければ私はドルヲタ(とてもヌルいけれど)になることもなかった。9/24のガイシの卒コンは何としても行きたい。もう一度SKEファミリーに入りなおすか。