• 夕方、K先生の講演会を聴く。「小規模な編成の室内楽が多いのは、スペイン風邪の流行でソーシャルディスタンスが実施されて大規模編成の管弦楽の流行がストップしたため(偶然だが私たちの今と通じる)」「何を聴いていいのか判らないなら、音色そのものに注意を向けよう(新しい音とセットで聴き方自体の提唱)」「ごく短い時間なら凝縮された未知のものでも味わいうるのではないか(ウェーベルンの曲の短さ)」「未知の音楽には未知のテクストを組み合わせれば理解しやすくなる(だから歌曲が多くなる。前衛音楽が「劇伴」として恐怖映画でよく使用されるのもそのため)」「既知のものを未知のやり方で編みなおすことで、新しく生成されたものをよりくっきりさせることができる(編曲の仕事が多い理由)」「十二音技法の確立は一見すると先鋭化だが、無調音楽とでたらめ音楽の峻別のためであるとするなら保守化(新古典主義の台頭と同時期)」など、新ウィーン楽派の企みを整理してゆかれるのに感嘆しきり。その後の前衛音楽の総てがそこにはもう入っていて、なぜ百年以上前の彼らが今も「現代音楽」のスタートであるのかがよく判った。終わると、もうすっかり雨になっている。
  • 途中で電車が停まる。ようやく電車を降りると、どうしてもヨーグルト飲料が呑みたくてスーパーに飛び込むが買ったのはバナナ豆乳のパック。傘を挿して歩きながらパックに背のストローを突き刺す。その間にコートの袖がすっかり濡れる。呑み干す。とても甘い。気分がぐにゃぐにゃしているので誰もいない雨降りの夜道でシュプレヒシュテンメもどき。帰宅すると柚子が分厚い肉を焼いてくれる。バニラヨーグルトのカップをデザートにひとつ食べて、もう、すぐに眠る。