タカラヅカの花組公演へ

  • 柚子と一緒にのんびり駅まで歩いていたら、予定していた電車に乗り遅れ、開演ぎりぎりで劇場内に。上演前に、第91期の初舞台生の口上があった。如何にも初初しい。幸運を。いつか魂の震えるような舞台を見せてほしい。
  • さて、荻田浩一の作・演出『マラケシュ・紅の墓標』は、謂わば、荻田版『チャタレー夫人の恋人』だった。ヨーロッパの伝統と価値観が総て崩れ去った第一次大戦、その直後のモロッコ。砂漠と文明の境界線上に位置する突端の町マラケシュを舞台に、荻田は「故郷喪失」を描く。この演劇の主な登場人物たちは皆、故郷喪失者ばかりだ。
  • 英国政府から砂漠の測量のために派遣されて遭難した、貴族で夫のクリフォード(彩吹真央)を探しに、ヒロインのオリガ(ふづき美世)はマラケシュを訪れる。危険を犯して、この「文化果つるところ」まで彼女が来た理由は、夫への愛の有無を確かめるためだ。つまり彼女は、夫への愛を感じられないでいる。彼女は、革命で故地を追われたロシア貴族の娘である。
  • まず、夫のクリフォードだが、これは勿論D・H・ロレンスの『チャタレー夫人の恋人』に登場するヒロインの夫の名前である。古き良き欧州の申し子のような、若きクリフォード・チャタレー卿は第一次大戦に従軍して負傷、下半身不随になって帰還する。彼は妻に女の悦びを与えられなくなるが、それを埋め合わせるように、炭鉱労働の機械化・効率化を推し進める男でもある。
  • マラケシュ・紅の墓標』のクリフォード卿に与えられた役柄は、測量隊の隊長である。版図を広げると云う言葉があるように、測量隊の仕事である地図を作ることと国家の拡大の欲望はパラレルだ。だが、ヨーロッパを物質的にも精神的にもすっかり根こぎにしてしまった第一次大戦の直後を背景にした舞台であるから、帝国主義ヨーロッパそのものの測量隊は、劇の冒頭から砂漠に呑み込まれて、往路も帰路も見失い、隊員たちは次々に死んでゆく。
  • 先述したが、この劇の主要な登場人物たちは、ヒロインのオリガやその夫だけでなく、皆、故郷喪失者なのである。主人公のリュドヴィーク(春野寿美礼)は中欧の寒村の貧しい生活に耐えかねてパリに逃げ出し、其処でも悶着を起こしてマラケシュまで逃れてきた。その仕事上のパートナーの青年レオン(樹里咲穂)も、土地のベルベル人の女と白人の間の混血児。落ちぶれて欧州から流れてきた女優(遠野あすか)に、その付き人(矢代鴻)。フランス本国から左遷されてきた警察長官(萬あきら)、パリを棄ててきた嘗ての裏社会の首領(夏美よう)等々。
  • 故郷喪失者の彼らが、帰郷を望んでいないと云うことではない。フロイトの云った「子ども時代はもうない」と同様、だからこそ、それを再び手に入れたいと云う強い渇きに、彼らは常に迫られている。いや、私たちと云い換えてもいいだろう。近代を経て、自己の寄る辺を自己にしか見出せなくなった私たちにもまた、そんな特権的な帰郷の地など、もう何処にもないからだ。しかし、じぶんと云う場所を支えとすることの不確かさは、私たちの誰もが知るだろう。
  • 芝居の後でお茶を飲んでいるとき「幻想のシーンなんだから、もっと華やかで良かったんじゃない?」と云う意見も出た第9場の「幻のパリⅡ」だが、やはり私は此処こそが、この芝居の眼目だったのだと思う。甘美な世界は紗幕の向こう側で演じられ、どれだけ強く望んでも二度と帰れない。それがとてもはっきりと感じられる演出だったからだ。
  • そして夜闇の中の、『トリスタンとイゾルデ』の第2幕のようなリュドヴィークとオリガの恋は、実を結ぶことなく終わり、彼女は砂漠から生き延びたクリフォード卿の妻として、突端の街から去って行く。砂漠での不倫の恋が、ヒロインを何処か特別な場所に連れてゆくわけではない。世界には、紗幕が掛かったままだ。
  • 砂漠の恋と、ロシア貴族の「黄金の薔薇」を巡る暗闘と云うふたつのエピソードをちゃんと消化するには、些か上演時間が短かったのは確かで、脚本をもう少し練る必要があっただろう。だが、荻田が現在の宝塚で唯一、きちんとした教養と問題意識を持ち、独自の美意識を培いながら作劇している現役の演出家であることは間違いない。テーマを別にしても、バザールの場面での群集処理など、素晴らしく絵画的で美しかった。荻田浩一の舞台が、もっと観たい。
  • 以前観た『エリザベート』のときは、大鳥れいエリザベートばかりが印象に残って、まるで影の薄かった春野寿美礼だが、あんなに歌が巧いなんて知らなかった。さらに特筆すべきは土地の精霊である「蛇」を舞った鈴懸三由岐。ピナ・バウシュの公演ならいざ知らず、宝塚の舞台で、舞踏の凄みを感じさせる踊り手を見られるなんて思っていなかった(失礼!)。また、矢代鴻の堂々たる歌唱も良かった。年季の入った芸と云うのは、やはりとても気持ちがいい。
  • さて、レヴュウは、酒井澄夫の作・演出の『エンター・ザ・レビュー』。荻田の舞台のあとだから、些か平板だと云う印象を時折持ったが、兎に角、手堅く纏められていて、愉しい美しいレヴュウ。初舞台生たちの所為で、舞台上にはいつもよりひとが多く、純白の衣装の彼女たちが犇いている姿は、それだけでなかなか壮観だった。
  • 芝居が終わり、劇場内の喫茶店で、今日が初タカラヅカのUくんとK嬢と共にお茶を飲む。5時過ぎまであれこれと会話する。宝塚で彼等と分かれ、途中で柚子とも分かれ、実家に。
  • 靴を引き取る。母の茹でた、饂飩のようになった酷いスパゲティを食べる。10時帰宅。入浴後、就寝。