『この荒野の物語』を見物する。

  • シアターシンクタンク万化の『この荒野の物語』を観る。梅田のツタヤで弟と待ち合わせ、シアトリカル應典院の手前の古本屋でF大兄と遭遇し、劇場の前でH監督と邂逅。
  • 役者の演技、美術、衣装は、これまで私が観ている「万化」の公演の中でも、非常によく練られていて、それぞれ非常にレヴェルが高い仕上がりになっていたと思う。特に、最も若い役者である村井友美の演技の燃焼度の高さは、目を見張るものがあった。有元はるかとの芝居の相性も良い。また、大沢、河口などの以前からの看板役者たちのサポートも上々。
  • さて、作・演出の美浜源八と小田益弘は、ジュブナイルとビルドゥングスの、つまり少年&少女的なパーソナリティの持ち主の、現実逃避とギリギリの現実肯定を主に描く作家であると云ってよいと思うし、ずっとそのフレームの内側で作劇を続け、劇団もまた、それに添って機能してきたと思う。
  • だが、彼らは『エバーグリーンOn Line』に於て、驚くほどの大胆な歩みで、その枠を踏み越えて、「大人」として生きる覚悟と倫理を、ズバリと示して見せた。それ以降、私は美浜&小田を、ジュブナイルの作家ではなく、「大人」の作家として認識するようになった。
  • しかし、今回の『この荒野の物語』は、先に述べたとおり、素晴らしくよくできたジュブナイルの演劇だった。慌てて付け加えるが、この舞台が、アドゥレセンスな少年少女の背中を力強く押してあげることのできる作品だっただろうことを、私は充分に認めるし、劇団は今後、成長の著しい村井&有元のコンビを軸に、非常に質の高いジュブナイルの演劇を舞台に乗せ続けてゆくこともできるだろう。そして、それが非常に満足できる舞台になることも私は疑わない。だが、それでは美浜&小田が、それまでの限界を超えて切り開いた隘路は、再び草むして、やがて再び見えなくなるのだろうか。それは、ずいぶん残念なことだと思うのだ。
  • F大兄、H監督、弟と共に難波のウェンディーズで駄弁る。弟と古本屋やビックカメラをちょっと覗いて、帰宅する。