台風。

  • 夜中の三時ごろ、眼が醒める。そのまま眠ろうかと考えるが、明日の朝までに劇評を書かなければおちおち寝ておれないと思いなおし、まず風呂に入る。頭をはっきりさせると同時に、焦りを取り除いて落ち着かせようと、風呂の中で、「ミニマリズムとポップ以降の美術論」と題された共同討議を読む。
  • まず、ロザリンド・クラウスマイケル・フリードの言説を纏める手際のよさ。

「現前性(プレゼントネス)」という言葉によってあなた(マイケル・フリード)は、作品に接し力強い抽象的実在を体験すること、つまり純粋認識のひとつとして寓意化されるような体験というものを提唱したわけです。誰もが作品の核心へ瞬間的かつ永遠に到達してしまう一瞬、その瞬発的な到達感が人を時間の拘束から一気に超越させてしまう、そうした驚くほど即時的な一瞬というものを、あなたは仮想していたはずです。

ソシュールのモデルは、意味というものを、差異に基づくもの、ポジティヴな項の不在に基づくものと想定しているんです。差異に基づくこのモデルと、即時的な充溢というあなたの観念が、どうして合致しうるのか、私には理解できません。たとえばアンソニー・カロの彫刻のごとき作品を体験すること、それをソシュールの理論はあらかじめ見事に説明していた……あなたはそう云っていますが、私にはぜんぜんピンときません。

  • これに対してフリードは、「ソシュールに由来する言語の差異性のモデルと、カロの作品が即時的に感知しうること」の間には、如何なる矛盾もないと返答する。

ソシュールのモデルは、私たちが一瞬にして単語や文章の意味を経験的に把握することを、否定してはいません(それを否定するのは馬鹿げたことです)。むしろ、現実の言説を特徴づけている即時的な理解可能性は、いかなる場合においても、差異性の構造に保証され、可能たらしめられている。

  • マイケル・フリードの、或る種の高潔さのようなもの、または、その一貫性の姿勢のよさにうたれる。
  • 風呂から出て、朝までぽちぽちと劇評を書き続けて、少し眠る。
  • 昼前に起きて、柚子のつくってくれたご飯を食べて、一日家のなかでぽちぽちと劇評を書き続ける。外は台風で、ひどい雨と風。
  • 123君と電話で少し話をする。
  • 深夜、ゼミ。