• 相模原の障害者施設で起きた幼稚で残忍なテロに対して、この「事件そのものよりも」、施設で働いているひとたちの給料の低さに驚いたと書いているひとが少なくないことに気づいて、ひどくうんざりする。驚きの感情が、あの事件そのものにまず向かうよりもカネに向かっているというのは尋常ではない。彼らは現実主義者なのではなく、心がないだけである。
  • きのうの夜、『報道ステーション』をみていたら、やはり相模原の事件の報道から始まり、次のニュースへどう移るのだろうと思っていた。アナウンサーの小川彩佳は、顔を真っ赤にして涙ぐみ、何も云うことができない。その眼には憐憫ではなく憤怒が光っていた。報道の中立(という名の自己検閲への圧力)が喧しいなかで、きちんと強い怒りをあからさまに表明しているひとがいることに心を強く揺さぶられ(どう次のトピックになめらかに移るだろうかなどというどうでもいいこと――これをどうでもいいと云うことができないで、JLGのジャンプ・カットを知っていることになんか何の意味もない――に意識を逸らせていたじぶんへの恥ずかしさも含め)、まったく不意に、涙ぐんでしまう。