• 昼前から出かけて神戸映画資料館フレデリック・ワイズマンの『DV』を見る。慣れた場所から身を引き剥がして逃げて、新しい環境に飛び込むことへの不安に比べたら、どんなに悪い状況にも人は慣れてしまうことと、暴力と支配の連鎖は、その作動のメカニズムを精確に言葉で分析して理解できれば断ち切れることを、信頼できる仲間と学ぶさまが、フロリダ州の或るシェルターを軸に描かれる。親が子供同士を争わせるという虐待があることや、見学に来ている年輩の女性たちと施設スタッフの熱心なやりとりの場面とか、まだ幼いが以前兄から妹への性的虐待があったふたりが、親のネグレクトのせいで加害者が被害者の面倒を見ているという現状をどうするか、というヘヴィーな会議など、いつも以上にワイズマン式の社会教育(何が起きているかを目に見え、耳で聴こえるようにして、その編集のリズムによって、見方も提示する)としての映画の側面が強いが、とてもいい。最後の、鮮やかな黄色の壁の前で繰り広げられるDVの生々しいシークェンスを見ながら、この黄色い壁は見た記憶があるぞと思う。
  • 新長田の駅前のモスバーガーで遅い昼食のあと、元町まで出てシネ・リーブル神戸でジュリア・デュクルノーの『チタン』を見る。『クラッシュ』のような鬱っぽさのない派手なカーとのセックスのあとは、おそらくキューブリックを批判している。そうでなければ、ヘンデルの《サラバンド》が流れるだろうか。『バリー・リンドン』だけでなく『時計じかけのオレンジ』もひたすら男の映画である。『2001年宇宙の旅』にしても、女も母も隠されているままで、ただ寝てるだけでおっさんがスターチャイルドに変身するなんて。産れたあとも、誰の手も借りず、そのままふわふわと漂い出してゆくなんて。スターチャイルドが胚胎して、育ての親の手に抱かれるまでを、『時計じかけのオレンジ』のような世界で『バリー・リンドン』のように丁寧に『2001年宇宙の旅』をデュクルノーなりにやりなおそうと試みているのが『チタン』だろう。ベルトラン・ボネロが出ていて、ボネロの映画こそ本邦でもきちんと見られるようにしてほしいと思う。