• 『カモンカモン』のホアキン・フェニックスなら「オペラ・ミュージック」と呼ぶであろうヴェルディの《レクイエム》をアバドウィーン・フィルで聴きながら、この演奏と録音は本当に冒頭の音楽の始まりを見事に捕まえていると思いつつ、ニック・ワプリントンの『Truth or Consequences』を膝の上に拡げて眺めている。エグルストンとかフリードランダーとかウィノグランドとか、そういうモダニズムのオールド・マスターたちの写真が、ワプリントンの写真をきっかけにして、想起されてくる。電球を、三輪車を、カウボーイを、あれやこれの写真を既に知りながら、今ここにいる自分ならどう撮るか。その応答のありさまとして、ワプリントンの写真が見えてくる。
  • 先日届いた鈴木治行のギター曲集『ナポリ湾』のCDを聴いている。シンプルな音のブロックの配置が次第につんのめり、ぎくしゃくとずれてゆくさまが、くっきりと聴こえて、とてもいい。
  • 昼をとってから蒲団の中で本を読んでいると、しばしば眠くなってきて、ページの上にはない文章を勝手に作り上げて、読んでいるときがある。それはもちろんおかしな文なので、ぎくりとする。もう一度読もうとして、今度はよく眼を開けてページの上を走査するが、当然そんな文はどこにもない、というようなことが時々起る。
  • 『知識人とは何か』を読み終えて、『ソドムとゴモラ』の続きを読んでいる。ようやく「心の間歇」を読んだ。何かが起きるとそれがいつの間にか別のことに繋がってゆくプルーストの、構造としての切れ目のなさの上に、時々起きる地震や脱臼のようなもの。