芥川賞からあれこれ

  • 芥川賞阿部和重が獲ったそうで。島田雅彦が落とされ続けてそのまま終わったころが懐かしい。今回のノミネート作品で読んでいるのは田口賢司のだけだなあ。文芸誌は立ち読みで済ませる私も、田口の新作読みたさに掲載の『新潮』は買った。初出時は「メロウ」の後ろに「1983」が附いていた。出来は『ラヴリイ』よりほんの少し絶望が薄まった感じかな、と。単行本の装幀は、前三作が黒だったのでその路線かと思いきや、本屋で現物を見て、やられた。後書きが本文以上に素晴らしかった。装幀と後書きのために買うべき単行本。
  • 中学生のときに田口賢司の『ボーイズ・ドント・クライ』や『センチメンタル・エデュケイション』を読んで、断章形式で書くことに、ひどく憧れたものだ。ウィトゲンシュタインハイデガーを並列して読もうと思ったのも、木田元ジョージ・スタイナーや土屋賢二の論考を読んだからと云うより、きっと後者のなかにチラリと出てくるラヴ・シーンの所為だ(恥)。
  • 阿部和重は『アメリカの夜』のときに読もうかなあと思いつつ読み損ね、『インディヴィジュアル・プロジェクション』のときに読み損ね、『シンセミア』で三度、『攻殻SAC・2』の放送では本屋にまで走りながら四度読み損ねた。しかし最近は同時代の日本の作家のものを(以前から好きな特定の作家を除いて)殆ど読まなくなった。ところがこれが、まるで苦にならないのである。佐々木敦の批評や日記を読んでいると、目配りが広くて、いつもエライなあと思ってしまう。じゃあ仲俣暁生はどうなんだと問われれば(って誰も問うていないか・苦笑)ちっともエライと思えないのである。仲俣氏の批評は、どうにも肌に合わないことが多い。図式化が過ぎると云うか、小さくまとめ過ぎると云うか、自縄自縛という言葉がぴったりであるような気がする。