三島由紀夫の『憂國』を観る

  • 中学生の頃から観たかった三島由紀夫の『憂國』を観る。30分弱の黒白の短編映画で台詞はなく、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の管弦楽がずっと鳴り続ける。
  • 映画のオープニング、巻物が出てくる。白手袋の男の手が、それを開いてゆく。墨痕鮮やかに『憂國』とタイトル。そのまま、するすると巻物は述べられてゆき、スタッフロールの後、ナレーション代わりに映画の前日譚が映し出される。それらは総て、三島の墨跡である。
  • 映画は、能舞台の上で展開する。舞台上は白で統一されている。
  • 登場人物はふたり。三島が演じる二・二六事件の蹶起に置き去りにされた陸軍少尉と、その妻。少尉は同志たちと対峙する(皇軍相撃つ)のが忍びなく、腹を切ることにする。妻は夫の自決に同行することを決めている。
  • ふたりは相対して正座し、遺書をしたためる。半紙に墨と筆で。その後、最後の情を交わし、夫は腹を切る。
  • 三島の演じる少尉の切腹シーン*1は、殆どホラー映画のそれ。腹を召すと、真っ黒な血液と、おびただしい臓物が白い床の上にどくどくと零れ落ちる。痛みに耐えるうち、少尉の唇からはぶくぶくと泡が溢れる。それを凝っと見ながら妻が泣く。白く化粧した頬に、眼窩からおびただしい量の大粒の涙が流れ出す。やがて少尉は痙攣する身体を妻に支えられ、腹を掻き切った刀を喉に深々と突き立てると、血の海の中で遂に絶命する。
  • 妻は、橋掛かりに設けられている鏡台の前で化粧を整えると、真っ黒な血だまりの中に突っ伏している夫の亡骸のもとに摺足で戻ってくる。そのとき、彼女の白い着物の裾がたっぷりと血を吸って、真白な床の上に鮮やかな一文字の墨跡を残す。そして、みずからも喉を短刀で突く。
  • 付言するまでもないだろう。この『憂國』は、書道の映画なのである。或いは、裂け目から液体が迸り、空間にしるしを付ける映画と云い換えても良いだろう。
  • 三島は肉体(行動)と言葉の相克に悩んだ作家だとされているが、決してそんなことはない。この映画で執拗に反復されるように、彼の切腹もまた、ひたすら書くことの一変奏だったのだ。ただただ書くことに憑かれ呪われていた作家、それが三島由紀夫だったのであり、有名な「私の総てが『憂國』に表現されている」と云う言葉は、陸軍&切腹マニアの魂の叫びと云う意味ではなく、じぶんの腹にさえペンを突き立てて書き物をしてしまう呪いのことを指していたのではないか。
  • さて、DVDの二枚目には、スタッフの方々が当時を語る「三島由紀夫の二日間」と云う特典映像が付いているのだが、それに拠ると『憂國』は大蔵映画のスタジオで撮られたのだそうだ。
  • おお、『憂國』を新東宝のエログロ映画だと思って観ると、何と腑に落ちることか。確かに、陸軍少尉が愛妻とセックスしてハラキリして臓腑が落ちまくる高尚なスプラッタ・ムーヴィなのだもの(苦笑)。

*1:先日観た『MISHIMA』の市ヶ谷での切腹シーンは、ちゃんとこの映画を踏まえていたことを確認。下腹部をまさぐる指先の動き。