涼宮ハルヒとは……

  • じぶんがラムちゃんだと気づいていないラムちゃんだ?!
  • と云うわけで、『涼宮ハルヒの憂鬱』を観終える。
  • ビューティフル・ドリーマー』に『リンダリンダリンダ』、長門有希は矢吹駆シリーズに『膚の下』……いやはや、先日の日記でも書いたが、仮に中学生の頃に第三種接近遭遇していたら大好きだったかも知れないアニメだった。
  • しかし涼宮ハルヒと云うのは、学校での生活と云うフレームの内側から彼女を見るならば、成るほど充分エキセントリックなのだが、その外側に出て眺めると、すごくステレオタイプな「生徒」なのである。生徒である彼女は、やはり、学校の外に出ることはできない。それは、新しい世界を彼女が何処から創造し始めたか見るだけで充分だ。
  • 涼宮ハルヒは生徒であることを止めても----それは『うる星やつら』的な終わらない学園生活と云う、特別な時計を導入しないかぎり避け難く、じきに訪れる----果たして、ずっと魅力的な彼女のままでいることができるのだろうか? それだけが、ちょっと心配なのだった。退屈で凡庸な神様は、この世の中に、ごまんといるのだから。
  • しかし、このアニメの中で描かれる世界は、行ってみたいと思わせるだけの魅力を備えていた。以前の私の職場の近くで、いわゆる「聖地巡礼」に励む、カメラ片手の少年たちをよく見かけたが、ちょっと、気持ちが判ったような気がした。本当は、瀟洒な都市に見せかけている田舎で、それが結局、その地域の良さでも、居心地の悪さでもあるような、小さな町なんだけれども。
  • ハァ踊り踊るなァら、チョイト*1