- 柚子は朝から昼過ぎまで出かける。私は「しま」と留守番をして、椹木野衣の『戦争と万博』の続きを読む。
- 若き日のミラン・クンデラが、或る学生を西側と通じているとして党に売ったと云うような記事がチェコで出たそうで、ミクシィのクンデラ・コミュでは信じられない!信じたくない!と、動揺している方もおられるのだが、どうってことない。寧ろ、これが本当だとするなら、クンデラの小説は愈々凄味を増すことになるだろう。クンデラが、ではなく(お望みなら、イヌには石を擲げればよい。偉そうに「失望」してみせたりするがいい。しかし、イエスの言葉を思い出すなら)、クンデラの書き続けた小説が。
- チャイコフスキーの『エウゲニ・オネーギン』をまた聴く。コンヴィチュニーが徹底的に読み抜いた怜悧な演出をみた耳で、このオペラを聴いてしまうことから逃れられることは私には到底できることではないが、チャイコフスキーの交響曲などと比べても、やはり異様で、図抜けた傑作だと思う。
- その後、猛烈にオットー・プレミンジャーの『ローラ殺人事件』がみたくなり、DVDを引っぱりだしてくる。大変エレガントで、グズグズに腐敗していて、とてもいびつ。しかしブラームスの交響曲「第一番」とベートーヴェンの「第九」がひとつの演奏会のプログラムって、それはないんじゃないだろうか? DVDの附録にヒロインのジーン・ティアニーのドキュメントが附いているのだが、彼女の生涯は、まるでフィッツジェラルドの小説のようなのだった。
- 夜は出かけず、柚子の作ってくれた天麩羅を食べる。美味。
- 食卓を囲んでいると必ずやってきて、テーブルの上のものに手を出そうとして怒られる「しま」が、姿をみせない。食事を終えて、ちょっと心配になって見に行くと、お気に入りの柚子の椅子の上で、ぐうぐう眠っていた。腕に抱えて下りると、猛然とカリカリを食べ、水を呑んでいたので、ほっとする。私はすっかり過保護の親のようなのだ。
- アルバイト先から電話があり、少し驚く。その後、柚子と話す。その報せを聞いたとき、不思議な気分になったからである。私は彼の姿を目にした記憶がない。衝立の向こうから、声が聞えてくるのを耳にしただけである。そのときだって、私は彼を知っていたわけではなく、たまたま仕切りで隔てられているが同じ空間のなかにいたので、質問に答えている声を聞いたのに過ぎない。私が彼(の声)と接したのは、そのときただ一度である。私は明日、彼と対面することになっていたが、それはキャンセルになった。何とも妙な気分である。