• 宮川淳『美術史とその言説』の巻末に、しまい忘れたみたいにぽつりと収められている「近代と現代」より。うまく世紀末美術を説明している(フロイト精神分析からの響きも聴こえるように思うのは、私がひきつけて読みすぎるためか。本当にいちばん好きなクリムトは女の手淫などを描いている素描だが、それ以外の絵でも決してクリムトを嫌いではないのは、まさにその強迫神経症的なところなのであると思う)。

ギュスタヴ・クリムトや初期のボナールの作品にあっては、装飾的モティーフがすべてを――主題そのものをさえ浸蝕するするのが見られる。それはまさしく「空間恐怖」なのであり、おそらく、その背後にはより深く、過去と未来の間にひき裂かれた世紀末という時代そのものの「空間恐怖」がひそめられているように思われる。そして、この空間恐怖において、世紀末藝術が見いだし、あるいはむしろ再発見したものこそ、装飾が本質的にもっている、世界の異質性、非連続性を同質化する力(曲線、連続、繰り返し)にほかならなかった。そして、ひとたびその本質的な力において見いだされたとき、自己運動をひき起こさずににはいられないのが装飾なのである。