- ……たとえばドナルド・ジャッドは画家だった。だれが、どこからみても視認に誤差のないパーフェクトな視覚藝術を実現するために、二次元の絵を棄てて、三次元で、リテラルな立体を制作することを選んだ。ゆえに彼のつくっていたものは彫刻ではなく絵画だった、とも云える*1。
- 上田良は版画家だった。彼女はゴミのようなものからオブジェを制作し、これを写真に撮った作品を提示する。上田は、オブジェを写真にしてしまうことで、だれがどこからみても視認に誤差のない彫刻をつくっている。ゆえに、上田のやっていることは写真ではなく彫刻である、とも云えるが、ものを圧しつけて、二次元の紙に定着させることが版画だとするなら、やはり版画なのである、とも云える。「モダニズムの「還元」のもと、彫刻は、絵画それ自体と同じほどに、その本質においてもっぱら視覚的と云い得るものとなった。(……)二次元に現れるものは(明白にではないが)実際には三次元において形成されている、と眼は認識するからである。」(グリーンバーグ「新しい彫刻」)。