• 朝から近所の歯医者に行く。そのままもうひとつ病院に行こうかと時計をみるが、もうじき閉まるので家に戻る。ぶらぶら歩きながら写真を撮る。いちど帰宅して、パスタを茹でてミートソースで食べる。台所で洗い物をして、洗濯機を廻す。ベランダで洗濯物を干すが「しま」は暖房にあたっていて、やってこない。
  • 夕方からまた出かけて病院に行く。採血される。元町の古本屋を廻ろうかと思うが、また今度にして、家で、ストローブ=ユイレの『アンティゴネ』のDVDをひっぱりだしてきて、みる。途中少し眠るが映画館でみるときのように「しかたがない」と巻き戻さず最後まで。当たり前なのだがこの作品のフレームは映画であって決して演劇ではないのである。ずっと固定されていたショットがいきなり切り替わる瞬間の驚き、ショットのなかに捉えられた人物や光線の動き、画面の外から聴こえてくる声や物音の響き、すなわち映画であるということを、より効果的にするために、彼らの映画づくりのルールはあるのだということを再確認する。しかし、やはりブレヒトは、どういじくってもブレヒトである。撮影はウィリアム・リュプチャンスキで、その連想から『美しき諍い女』のディスクも出してきて、最初の三〇分ほど(《美しき諍い女》という画題が飛び出してくるあたりまで)をみる。エマニュエル・ベアールは出てくると、いきなりポラロイドを構えて写真を撮るのだった。
  • 「しま」が真夜中に鰹節をねだって、階段の下までやってきて、よく徹る声で鳴く(ので、けっきょくせしめられる)。風呂に入ってから眠る。