• 今朝はハンブルク州立歌劇場の《パルジファル》をぼーっと眺めている。このところあちこちの歌劇場が《パルジファル》をアップしていて、それをつまみ食いしている。コロナの時代の音楽としての《パルジファル》。ずっと治らない傷口から血を流し続けながら、周囲からは「役割を果たせ」と責め苛まれているアンフォルタスはもちろん第三幕の譫妄のトリスタンの継続なのだろうが、それにしても、彼は20世紀以降の藝術のアイコンとして最もふさわしい。クンドリが運んできてくれるバルザムは効かない。「おまえを傷つけた聖槍だけが、その傷を癒すことができる」のだが、濃厚接触からはじまるコロナは、それをやめて個々が己を慎み、ソーシャル・ディスタンスを取って分断されることにより癒される。しかしその分断によって人びとが得られるのは、私秘的な空間ではなく、管理しやすく紐づけされている。コロナの時代のアンフォルタスには、救済としての死すら与えられず、主体だけが残り、この私は消える。