- 雨。昼の休憩はファミレスでとる。テーブルは間引いてある。向かい合って坐る爺さんと婆さんがグラッパの赤ワインを呑みながら素顔を曝して大声で喋っている。そのずっと奥の席には、やはりひとつのテーブルに若い男女が坐っている。彼らはマスクをして、何も喋らず俯いて、それぞれの手の中のスマートフォンの画面を見つめたり、ときどき触ったりしている。電車でたまたま乗り合わせた他人同士のように。*1
- 仕事の帰りに、Zoomで飲み会をやろうと友人たちを誘っておいて、その開始時刻までの間に、眠ってしまい、朝まで起きなかった。
- たいてい一緒にいる地域猫(たぶん兄弟)二匹が、ごはんをもらっているおうちの軒下で、雨宿りをしていた。
- 我らが宰相殿は、もしかして、ムッソリーニやチャウシェスクのように吊るしてほしくて、あんな動画をあげているのだろうか?
- 長澤均さんの「Mondo modern」から、氏の旧蔵のルイス・ボルツの図録『RULE WITHOUT EXCEPTION』が届く。冒頭にペーター・ハントケの日記『世界の重量』から「the trouble with great literature is that any asshole can identify with it.」という言葉が引いてある。「偉大な文学の問題は、どんな馬鹿もそれに共感できるということだ」。ボルツとか金村とかエヴァンスとか、偉大な写真家たちの作品を見ていると、どんどんパクっていいのだと思える。フリードランダーごっこやエグルストンごっこは、どんどんやっていいのだ(ウィノグランドごっこをやるのは難しい世の中であるので、カメラのストラップの短さを真似している)。彼らとおなじ写真を撮ることはできない。絶対にズレる。そのずれを、どんどん撮ってしっかり考えることでしか、じぶんの写真を撮ることはできないと思う。
- ボルツは、どの土地で撮っていても、画面のなかで空を切り取る割合が、だいたい同じで、かっこいい。
*1:どっちがいいとか悪いとかではない。若者が我慢しているのに年寄りは、とか、そんなことではない。少しは弁えて静かにしろボケ爺と思ったのも事実だ。そして、実は若者ふたりは何も会話していないように見えるけど、ソーシャル・ディスタンスを守って、LINEで清く正しくお喋りしていたのでした、みたいなツイッターに無数にアップされているような、1ページの漫画はすぐにも描けるだろう。しかし、2000年代中盤から、根も葉もない「在日特権」で差別を煽ったヘイト漫画家が、2010年に出版したのは、老人だけが若者から搾取して、いい思いをしているぞという糞漫画だったのはきっちり覚えておくべきだ。差別を扇動することで生活している奴らは、今じぶんが年寄りではないということでさえ(じぶんもやがて年をとることは棚に上げて)メシのタネにするのだから。