• 同僚たちと三宮のロフト(ではないのだが)の外の階段を降りてゆくと、途中の踊り場のようなところで、ロゴの入った作業服を着た父が煙草を吸いながら笑顔で立っている。眼鏡はかけていない。車をどこかに停めていてどうのこうのという話を父がする。あ、こりゃやばいなと思って、同僚たちとは別れて、私は父と残る。たまたま会えてよかった、事故でも起されたら大変だ、と私は思う。眼が覚める。大変も何も、彼はもう死んでるじゃないか。そのまま起きて階下に降り、暖房の前でお茶を呑んでいた出勤前の柚子に今見た夢の話をする。柚子が小さく笑う。
  • 理由は特にないが、ずっとジョセフ・フォン・スタンバーグを纏めて見ようと思っていた。ようやく『上海特急』を見る。軍閥同士の内戦下をひた走るこの特急には装甲列車も接続されており、水冷式の大きな筒を備えた機関銃が画面にはたびたび現れる。
  • 列車が北京を出て上海に到着するまでの鉄道の旅を描くのだから然もありなんであるが、この映画は、分断されているものが一つになるまでの諸々のプロセスを幾つも描く。
  • 嘗て恋人同士だった男女がよりを戻すことが、この機敏なアクション映画の最大の見どころであるが、それは、ひとつの画面の中に二人が収まることによって齎される。
  • 列車内の各コンパートメントを横から撮るので、画面が真ん中で二つに分断されるショットが多く、列車を降りても建物の中は薄布のカーテンで幾重にも区切られており、私たちの視野は、しばしばぶった切られてしまうことが起る。
  • マレーネ・ディートリヒがクライヴ・ブルックとの諍いのあと、コンパートメントに籠り、天からの光を浴びながら震える手で煙草を吸う、過剰なほどの美しいショットがある。このショットはディートリッヒの陶器のような額とシャープな眉を画面いっぱいに見せており、いかなる切断もないが、男と女を、別々の場所で撮ったショットを繋ぐというだけで、分断の諸相をこれまでずっと見つめてきた私たちの眼は、そこに胸をかきむしられるほどの分断を見て取るには充分に教育されている。
  • しかも恐ろしいことに、より美しいショットがこのあとやってくる。終着の上海の駅で群衆の渦の中に呑みこまれながら接吻をするショットの前に、再び始発駅で纏っていた黒鳥のタイトなドレスを纏っているディートリッヒの顔のアップがあり、繊細に織られた面紗の影が彼女の額から双眸の上に、ぴったりと重ね合わられる。こんな精妙な版画のようなショットをよく作ったものだと溜息が出る。アンナ・メイ・ウォンも素晴らしいが、とにかくディートリッヒと、その衣裳に驚く映画。