- 朝、会社の近所の形成外科へ。診察を待つ間に、京極夏彦の『姑獲鳥の夏』を読み終わる。十代の前半に読んでいたら、きっと大好きだっただろうなと思う本の一冊。ひとはいつも、それを読むべき最適の時期を逸して、『ライ麦畑』を読むのである。
- てきぱきと気持ちのいい所作の老先生、その診断によると、私の足首のと或る骨が、通常より出っ張りが大きくて、捻挫しやすい形状だとか。やれやれ。湿布をどっさり出して貰う。
- 仕事を早く退けて、京都へ。坂本龍一とダムタイプの高谷史郎の実験ライヴが法然院で行われるのだ。朝から雨模様だったが、私が京都に着いた頃にはすっかり上がって、澄んだ空に雲が幾つも出て、たゆたっていた。
- 開場の半時間前に、法然院に入る。いつもじぶんが暮らしている場所と、空気がまるで異なる。清冽としているのだが、同時に酒精が瀰漫しているような。濃密な緑の所為か。
- 会場の方向とは逆に、境内の中を登ってゆく。程なくして、墓地が現れる。まだ充分に明るいが、しかし6時を過ぎているので人影もなく深閑としている。手桶に水を汲み、柄杓を借りて墓地の中に入る。墓地は緩やかな山の斜面に沿うて、段段になっている。
- 法然院には大学生の頃からずっと、いちど行かなければと思っていた。九鬼周造の墓があるからだ。場所を調べてこなかったので、墓地の中をうろうろする。そのうち、まるで呼ばれたみたいになって、そちらへ顔を上げると正面に見えた。「九鬼周造之墓」と刻まれた、とてもシンプルな墓だった。その文字は、西田幾多郎の墨跡である。
- 墓の水を代え、手を合わせる。私は九鬼周造とハイデガーの哲学から、大袈裟に云えば生きる原理のようなものを学んだと自負している*1。
- この法然院の墓地には谷崎潤一郎も眠っているそうだが、九鬼周造に会いにきたのに、ついでに谷崎の墓に寄ってはどちらにも失礼な気がして、探さなかった。
- ライヴの会場は「方丈」と云う大広間。椅子はなく、畳の上にそのまま座る。庭に面した縁側の障子は取り払われ、左右にスピーカーが2本ずつ、中央に三面のスクリーンが立てられている。その向こうの古い庭からは、鳥や蛙の鳴き声やら風の鳴る音が吹き込んでくる。
- 銀色のiPodを繋いだ教授のラップトップから、ぷちぷちびーびーと云った電子音や、ワルツやピアノ曲の断片などからなる、ノイジィな音楽がつむぎ出される。それを聴きながら、陽が落ちてきて、徐々に闇に侵蝕されてゆく庭園を眺めるのは、とても無為で、心地良い体験だった。時折、プロジェクタから延びる光の中へ誘われてきた蛾が、白銀色に輝きながらちらちらと舞っていた。
- 会場には、浅田彰*2や柄谷行人らの顔も見えた。浅田彰は思っていたより小柄で、つるんとした綺麗な白い肌をしていた。
*1:http://f.hatena.ne.jp/ama2k46/20051110182832
*2:浅田彰によるライヴの簡単な報告が掲載されている。http://dw.diamond.ne.jp/yukoku_hodan/200508/index.html「ジョン・ケージの龍安寺のエレクトロニカ版って感じかな。梅雨の暮れ方、環境音楽風のミニマルな音響とそれに対応した映像が、カエルの声やししおどしの音、だんだん暗くなっていく庭の光景と、絶妙に照応してたと思う。カエルなんて一定の周波数の音に反応している感じで、だからけっこう意図的な「インタープレイ」ができるわけ。観客が一〇〇人ちょっとしか入れない、とっても贅沢な体験ではあった。坂本龍一は七月後半から日本ツアーをやるわけだけど、実は大規模なコンサートよりこういうちょっとした実験のほうが好きなんじゃないかな。」