日本軍上陸地点。


  • 朝食(炒めたハム、目玉焼き、フリカケを乗せた白米、ピーナツを山盛りにした粥、オレンジジュース)を取り、九時半に宿を出る。朝市みたいなのが開かれているのを眺めたりしながら、ようやく「忠孝新生」站を見つけ、「台北」站に。台鐵の切符売り場で、《我要買到「貢寮」車站的単程車票》と書いたメモ(ホテルで観光ガイドを見ながら準備しておいた)を渡すと、區間車(各駅停車)の切符をくれる。駅に入って駅員に切符を見せると、時刻表のところへ導かれ、プラットフォームと乗るべき列車の時間を教えられる。
  • 各駅停車でごとごと行くうち、「汐止站」の近くで、朱色に塗られた鳥居が残されているのを見た。行商のおばさんが乗り込んできて、スーパーの買物籠に、ビニールに詰めた山菜だか何かを山盛りにして売って歩いていた。郊外に出ても街に緑が多いせいからかも知れないが、台湾の緑には、放っておくとすぐに土地を覆い尽くし、密林に戻してしまいそうな勢いを感じる。川沿いの、葉の落ちた木々の枝先に大きな紡錘形の白い花がみっしり咲いていると思ったら、鳥だった。駅の真横に、かつて駅だったろう廃墟の駅舎が残されていて驚く。「三貂嶺」站のひとつ前。さて、「貢寮」站に着くが、何もない。駅前に雑貨屋と食べ物屋がひとつふたつあるだけ。タクシーが来ないかと待つが、来るわけがない。
  • 鉄路に沿って流れる川を渡り、向こう岸に出るが、やはり何もなく、もう帰ろうかとぼーっと道端に立ち尽くしていると、車が横に止まり、おばさんが顔を出して何やら早口で私に尋ねるが思うが、もちろんまったく判らず、ソーリー、アイ・ドント・ノー。しかしやはりこのまま帰るのも勿体なく、役所らしき場所があったので入ると、どうやら警察署で、出て来た警官氏(顔のホクロから一本の毛が長くひょろひょろと延びている。腰にさげた拳銃はブローニング・ハイパワーだった)に、さっき駅前で撮ってきておいた地図を見せると、原発に行くのか?と訊ねられるが、そうではない、と、抗日記念碑を指さす。やがて警官が何処かに電話をして、タクシーを呼んでくれる。白タクのようだったが、まあ大丈夫だろうと乗り込む。運転手のおじさんが、帰りも乗るか?と訊ねた(みたいだった)ので、頼む。
  • どうやら夏の間は海水浴場になっているらしい。小さな入口でチケットを買ってなかに入る。おじさんは、入口のおっさんと駄弁っている。砂浜の前が広い野原のようになっていて、その野原の周囲を囲むようにデッキが延べられていて、抗日記念碑に頭をすげ替えられた北白川宮の率いる日本陸軍上陸の記念碑。白い野良犬が草叢のなかから、ひょひょひょっとやってきて、記念碑の根元に番犬みたいに座り込んだ。小便でもしたら面白いのにと思うが、そんなことはしないのである。
  • 野原からずるずると降りて、誰もいない海岸に佇む。ものすごい風が吹きまくり、波がざばりざばりと真っ白な飛沫をぶちあげている。海のずっと向こうが日本なのである。携帯電話のカメラを構えるが、風に持っていかれそうになる。左手には建設中の、だから妙に廃墟じみた原発が眺めた。海へ少しでも近寄ろうと砂浜を歩いていると、いきなりずぼりと嵌まりこみ、くるぶしのあたりまで砂に埋もれ、慌てる。
  • 砂浜から引き返し、再びおじさんのタクシーに乗り、駅まで送って貰う。台北へは「七堵」站で乗り換えだよと駅員が教えてくれているのだがさっぱり判らず、まだ着いていてくれたタクシーの運転手が、ガラス窓に貼ってある路線図で「七堵」を指差し、「チェンジ!」と教えてくれて、やっと理解する。「こいつ何人だ?」と駅員が尋ね、「リップンチェンだよ」とおじさん。駅員から「ジャパニーズ?」と尋ねられ、「イエス」と答える。
  • プラットフォームに出る。線路の脇から白黒ブチの野良猫が出て来て、それを「台北」行とは逆側でぼーっと見ていたからだろう、さっきの駅員さんがわざわざ出てきて、線路の向こうから、台北行きはそっちじゃないぞと大声で教えてくれる。プラットフォームにいる数人のひとたち全員から心配されているのが判った。特に、行商人らしく大きな荷物を背負った老夫婦が、とても心配してくれていた。
  • 「汐止」站で途中下車して、鳥居を捜す。消防署の隣に、ぬっと現われた。神社の本殿は既になく、忠順廟に変わっていたが狛犬、燈籠などは昭和十二、十四年に建てられたまま残っている。ついでに、中途半端に開発されている感じの「汐止」站のまわりをぶらつき、セルフサービスの料理屋で遅い昼飯。美味。
  • そのまま、永康街昭和町文物市集と云う古道具屋街へ向かう。道々、廃墟になった日本家屋や、または同じ日本家屋でも、今も生活が営まれていて、少し開けた窓から白熱球の明かりが洩れてくる家もある。その家からは、猫がぬっと出てきて、瓦が拭かれた屋根の上に昇っていった。
  • 古道具屋はまるで面白くなく、ガッカリ。しかし折角、永康街まできたのだから、「冰館」でマンゴーアイス乗せマンゴーかき氷を店の脇のテーブルで食べる。道を挟んだ向かいは古道具屋と古本屋(表紙の取れたカッパブックス版の『日本沈没』があったのがとてもいい感じだった)を兼ねたレコード屋で、DVDも売っていて、店の外に置いたテレビからボリュームを最大にしているのだろう、グレン・グールドの最晩年の「ゴルドベルク変奏曲」が流れている。雨に濡れた舗道にネオンがキラキラ光っていて、わけのわからない言葉を話すひとたちが賑やかに行き交い、音が割れているけれどグールドのバッハが響き、マンゴーかき氷はバカほどうまくて、或る種の完璧な瞬間だなあと思いつつ、私は、何をしているんだろうとつくづく感じる。
  • 大安站から忠孝新生に出てホテルへ歩いてゆくが、気づくと忠孝復興にいる。逆に歩いてしまった。あんまり疲れたので、台北のタクシーは大丈夫だと云うガイド本を信じてタクシーに乗る。帰宅して風呂に入る。砂が、靴からざらざらとこぼれ出る。