『杉本博司 歴史の歴史』展をみる

  • 雨。朝慌てて起きだして堂島へ。ジュンク堂で弟と待ち合わせて、国立国際美術館の『杉本博司 歴史の歴史』展*1へ。きわめて趣味のよい古道具屋を覗いたような展覧会だった。
  • 若いときは骨董商としての暮らしも営んでいた、現在はコレクタとしての杉本が買い集めたさまざまなモノと、杉本の作品が併置される。
  • まだ地球に人間がいなかったころをとどめるあれこれの化石、中世の欧州に飛来した隕石、原始人たちが日用の具としていた石器、桃山の能面、奈良のハギレ、古木、鎌倉の書、ニュートンの初版本、ドイツを統一した鉄血宰相や、亡命先で頭をピッケルで砕かれた革命家のサイン入りの肖像写真、アポロ計画の折に作られた宇宙食……そして、それらの間に展示される杉本自身の作品は、美しい歴史のゴミ屑たちに、ひたすら負け続けるのだ。モノとしての弱さを露呈し続けるのだ。
  • いや、その並べかたこそが杉本の作品なのだと、コンセプチュアルな場所へ撤退戦を行うには、だが、この古道具屋のおやじは、自身の作品のモノとしての勁さを信じ過ぎ、愛し過ぎている(しかし、B3階の最も大きな展示室を使った「放電図」の展示は、成るほど確かに杉本のコンセプトとモノとしての勁さが分ち難く結びついていたと思う)。
  • 連戦連敗そのもののこの展覧会で、杉本が唯一勝利するには、どうするべきだったか? 周到に展示を練ったに違いない杉本が忘れたものは何か? それは、値段の表示である。杉本は、あらゆる展示物の脇に、これが取引される際の値段を書き込むべきだった。売買され、蒐集され、散逸し……を繰り返すことで、歴史の歴史は始まり、続いてゆくのだから。これは、決して揶揄ではない。
  • ところで、警備員が多すぎるように思ったのは、気のせいか? たまたま平日の昼間で、観覧客より、展示室の薄暗い片隅に坐っている葬儀の客のような彼女たちの姿が目立っただけなのだろうか。
  • ゆっくりとみて、マクドナルドで昼飯を食い、弟と別れて、アルバイトに。
  • 校正作業中のT君、N君からSkypeに連絡あり。しばらくしてN君は帰宅し(お疲れさま!)、K君も入って少し駄弁る。
  • 東のエデン』の第一話をみてから寝る。TVアニメの第一回をみるのなんてすごく久しぶり。EDがカッコイイ*2。「凡庸」な神山健治がどんなふうにじぶんの話を語るのかに就いて、とても興味を持っている。