きょう届いた新刊

  • ハインリヒ・マイヤー『シュミットとシュトラウス 政治哲学と政治神学の対話』(訳・栗原隆、滝口清栄。法政大学出版局
    • この本は、amazonでは品切れでマーケットプレイスで定価の約二倍の値段がついていて、「日本の古本屋」でも五割増しの値段となっている。ところが「版元ドットコム」*1には、まだちゃんと新刊の在庫がある。注文するとすぐ、送料無料で送ってくれた。
    • amazonでは、実際にはまだ手に入る本が品切になっていて値段が吊り上げられると云うことはしばしばあり、ああ、またか、と云うような気持ちにしかならないのだが、「日本の古本屋」で同じことがあると、がっかりした気持ちになる。ちょっと憤慨するほどなのだ。それはたぶん私が、古本屋を、本を目利きすることの職能集団であると信じているからである。彼らは、本に関する充分な知識と、独自の価値判断の体系を持っており、それらのすり合わせで、一冊の本の値段がつけられ、やがて、その積み重ねが、その店らしい棚の姿となってゆく。だから、或る一冊の本をどんな値段で売っているかと云うのは、古本屋の個性の見せどころであり、それは、これまで存在してきた古本屋の価値判断との対決(それを継承することも含めて)でもある。
    • 古本屋の棚を眺めるというのは、云うまでもなく、何か探している本を(できれば安く)買うためなのだが、同時に、その店の価値観を読んでいるのである。絶版本だから高い値段、というだけの古本屋をつまらないと思うのは、当然、そんな値段でだれが買うかよ、バカ。と思って買わないからでもあるのだが、それと同じくらい、その店の値つけの基準が単純すぎて、すぐに読めてしまうからつまらないということでもあるのである。
    • だから私は、まだぎりぎり新刊で買うことができる本に、それ以上の値段をつけるというのは、古本屋のやることではないと、考えるのである。