日録

朝から出かけてシネ・リーブル梅田でアレクサンドレ・コベリゼの『ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう』を見る。たびたびスナップ写真を撮っているような気分になる映画だった。少し長すぎるような気もするが、あとで思い出すのはおそらく普通なら切…

NMIXXの《Just Did It》という曲がいい。洗濯機を回して、アレックス・ガーランドの『エクス・マキナ』を見る。肉じゃがで少し早い昼食をとって、少し長い昼寝をする。富岡多恵子も死んだ。一柳慧の最も優れたルポルタージュも入っている『行為と芸術』はと…

洗濯機を回して、昼から出かけてIMPホール(学生の時に女の子と高橋幸宏のライヴを見た)でペーター・ハントケの《カスパー》を見る。演出はウィル・タケット。声がよくて身体がよく動く訓練された役者たちが叩き込まれた言葉をてきぱきと吐き出す。名台詞は…

夕食ができるまで部屋に籠って本を読んでいると、「しま」が階段の下で大きな声で鳴いて降りてこいと言う。私たちの夕食が始まると「しま」も、もちろんやってきて、三人は横一列に並んで、銘々の皿から食べる。柚子が、「おそらく「しま」の唯一の楽しみは…

仕事の帰りにぎりぎり耳鼻科に間に合って、鼻炎の薬をもらってくる。真夜中に写真を選びながらバラネスクQのマイケル・ナイマンの弦楽四重奏曲集を聴いている。先日聴いたときは、こんなもんかとしか思わなかったが、頭(耳?)の調子が変わったのか、今日…

坂本龍一も亡くなったそうだ。柚子に教えてもらった。2023年は私が青春の頃に影響を受けた人たちの悉くが亡くなった。私はもう、そういう年齢になったということなのだろう。《thatness and thereness》を聴いたりする。

横断歩道があっても止まらない車は止まらない。雨で濡れたアスファルトにゴムの焦げた匂いが立ち込める。こちらから余計な喧嘩は吹っ掛けない。トラブルには巻き込まれないようにする。私人ではない自分をよく意識すること。まだやらなければならない仕事も…

自重しようと思った。もう私はチンピラではないのだから、本当に気をつけよう。来年度は、いやもう今日から、街中ではできるだけ目立たず、静かにしていよう。 浅井健二郎の『経験体の時間』をやっと定価より安く買えた。 『公開性の根源』を楽しく読み進め…

柚子が仕事に出かける。一度起きるがまた蒲団に潜り込む。昼前になっている。少し寒いと思ったら雨まで降っている。フェムケ・ヘレフラーフェンの展示が今日までだったので、久しぶりにKCUAまで出かける。2階のギャラリーで、ジョルジュ・センガの写真と組み…

シャンプーをして、泡を洗い流しているとき、たまたま耳朶の真上からシャワーを浴びていた。すると、耳元で聴こえる音がハーシュ・ノイズにそっくりであることに気づいた。耳の位置をちょっとずつ変えると、メルツバウごっこができる。嬉しくなって、ずっと…

夕方、K先生の講演会を聴く。「小規模な編成の室内楽が多いのは、スペイン風邪の流行でソーシャルディスタンスが実施されて大規模編成の管弦楽の流行がストップしたため(偶然だが私たちの今と通じる)」「何を聴いていいのか判らないなら、音色そのものに注…

大江の話すあの独特の声が脳裏で再生される。たった一度だけ阪急ファイブの上で開催された講演会に参加した。出待ちをして当時のフェイヴァリットだった『「雨の木」を聴く女たち』の文庫本と、『懐かしい年への手紙』の単行本にサインをしてもらって、たま…

洗濯機を回しながら風呂に入り、野村修の『ブレヒト・ノート』に入っている「バイエルン革命とブレヒト」を読む。特にその第二部は、戦後に再版された『家庭用説教集』からは削除された「赤軍兵士の歌」を、ブレヒトの全仕事の中にどう位置づけるかについて…

とてもきれいに晴れている朝。出勤と一緒にごみ捨てに行く柚子の音を蒲団の中から聴いている。ありがとねごめんねと思いつつ、だらだら起きる。友達から誕生日祝いにもらった音楽を聴く。《kanoyouni》とてもよかった。すごくいい音の電子音が奇妙な動き方を…

クラカウアーの『大衆の装飾』を読んでいる。「写真」と題されたエッセイでは、「写真が可視化するのは、オリジナルについての認識ではなく、ある一瞬の空間的配置だからである。人間が写真のなかに登場するのではなく、その人間から差し引かれたものの総量…

二月が終わるのは早かった。朝は皿を洗ったり「しま」と遊んで、だらだらと午後から出かけて今宮から新世界のあたりに向かって写真を撮りながら歩く。そのまま古本屋を覗きながら日本橋から難波に出て、帰路。雨が降るのは夜中からだった。

TVの前に積んである映画とかオペラのDVDを、押入れの中に戻す。戻した分だけ、まだ見ていないもの、また見返すものなどあれこれ悩みながら出してきて、また一本、柱ができる。

マーティン・ジェイの『永遠の亡命者たち』の「ジークフリート・クラカウアーの脱領域的生涯」を読んでいるとアメリカの実験的な映画の作家や批評家たちの名前が、「アーサー・ナイト、ロバート・ウォーショウ、シャーリー・クラーク、パーカー・タイラー、…

昼から出かけて、フェニックス・ホールでドーリック弦楽四重奏団を初めて生で聴く。ベートーヴェンの《11番》とハイドンの《49番》 、休憩を挟んで再びベートーヴェンの《12番》。最高だった。ダンスのようだった。

今年も柚子から貰ったデメルの猫の舌のチョコ(今年はミルクだった)を食べ終える。

野村修の『スヴェンボルの対話』を風呂の中で読み終える。とてもいい本だった。新しいベンヤミンの翻訳もどんどん出るようになって、野村修のことは忘れるようになっていた。これは1971年に出た本で、1930年生の野村は40歳だ。タイトルには三人の名前が出て…

昨日の夜は聴かなかった、CDの後半に入っているライブ盤らしい『Another Day/Another Dollar』を聴いて、ようやく『Solid Gold』の面白さが判る。1stのカリカリのパンクとはずいぶん違うので戸惑ったが、この脱臼ファンクも気持ちいい。

堂山の風俗無料案内所の前を通ると、中から流れてくるポップスがとてもいい曲で、あれこれなんだったけ?と必死に考えてみたらXGの《SHOOTING STAR》だった。

昨日買った『Entertainment!』がとてもかっこよかったので、今日も閉店間際に中古レコード屋に何とかぎりぎり飛び込んで、セカンドアルバムの『Solid Gold』にEPの『Another Day/Another Dollar』が入ったCDもやはり買う。

仕事帰りにまだ開いていた中古レコード屋に飛び込んで棚をうろうろ。ギャング・オブ・フォーの『Entertainment!』のCDを買って帰る。

野村修の『スヴェンボルの対話』を読み始める。冒頭のエルンスト・ブロッホの講演の話を読んで、そういえばこのブロッホもエッセイの人だったと思う。

朝の五時過ぎに居間でうたた寝から目が覚めて、蒲団に入って眠るには遅すぎて、風呂に入る。湯船の中で西川直子の『クリステヴァ』の終わりのあたりを読んでいる。触発されつつ、次第に考えが逸れて行って、空っぽの暗がりについて、考えるようになる。それ…

私の批評を読んだ或る仏文学者から「何であなたがこれを書いたのか、その動機が判らない」という感想をもらう。批評にそんなものがいるだろうか。私の動機が何であろうが、或る作品の表面に何がしかの徴があり、それは斯くの次第で、このように読める、とい…

午後から出かける。駅前から電車に乗ろうかと思ったがまだ混乱している様子だったので、駅から家とは反対の方にぶらぶら写真を撮って歩く。雪雲が抜けたあとのすかんとした光。その分、空気は冷たくて、カメラを持つ手が悴む。帰宅してお湯で手を洗ったら、…

午後から仕事で大阪に出る。夕方、JRの駅まで戻ると大混乱になっている。いつもの倍ぐらいの時間がかかって最寄り駅まで帰ってくる。雪が降り積もっている。いちばんいい革靴を履いているときに限って天気が悪い気がするが、カメラを取り出して、あちこち撮…