2022-01-01から1年間の記事一覧

昼前から出かけて神戸映画資料館でフレデリック・ワイズマンの『DV』を見る。慣れた場所から身を引き剥がして逃げて、新しい環境に飛び込むことへの不安に比べたら、どんなに悪い状況にも人は慣れてしまうことと、暴力と支配の連鎖は、その作動のメカニズム…

仕事の帰りにミント神戸でマット・リーヴスの『ザ・バットマン』を見る。これはかなり好き。ずっと雨が降りしきる陰鬱なゴシックのゴッサム・シティの地下に溜まった濁った汚水は、やがて憤怒の洪水となって噴き出す。1995年のデイヴィッド・フィンチャーの…

仕事の帰りにシネ・リーブル神戸でケネス・ブラナーの『ベルファスト』を見る。窓枠に囲まれて配されるジュディ・デンチのばあちゃんの顔の素晴らしさ(最後のアップ、そして隠しつつ見せる縦のストライプのガラス窓)。この映画は、概ねバリケードで封鎖さ…

仕事の帰りに隣町の和菓子屋で饅頭を買う。「愈々『スローターハウス5』みたいになってきたね。これが現実だね」と、店の主人が苦く笑う。 帰宅してIVEの新曲の《LOVE DIVE》とクォン・ウンビの《Glitch》のMVをずっと繰り返し聴いている。 捕虜になったロ…

ウクライナから撤退してきたロシア兵がベラルーシで掠奪してきたスマホや宝石を売っているという。惨たらしい虐殺の痕跡の報道が幾つも。まるで1940年代にいるようだと吐き気がする。与えられるコンテンツが平準化していてもなお、私たちはまだ80年前のよう…

新年度。昨日までプリーモ・レーヴィの『溺れるものと救われるもの』を再読していたが、気が滅入るといけないので、鞄にはプルーストの『ソドムとゴモラ』を入れた。少しずつ読み進めている。

いよいよ抗いきれず夕方から出かけて、スピルバーグの『ウエスト・サイド・ストーリー』をHAT神戸で見る。極彩色のダンスにさえ付きまとう暴力について。体育館の激しいダンスバトルのシークェンスで、女の足は飛び出しナイフとして用いられている。どのショ…

まだ暗いうちから起きて友人とポーラ美術館のロニ・ホーン展に。どの作品も、断ち切ることと集めて繋ぎ合わせること(ただしすっかり元通りにしてしまうのではなく)という原則によって作られている。 美術館の外の遊歩道を歩きながら、聳える木々の間から空…

青山真治が亡くなる。青山真治の映画がとても好きだったかというと、決してそうではない。見ている間は、駄目なところばかりが気になってしまう映画だった。しかし、強いて思い出そうとするのでなければ、それらの幾つかの映画たちをふと思い出す折には、と…

朝から洗濯物を回して、サルヴァトーレ・シャリーノのピアノ曲のCDを引っ張り出してきて聴いている。特に《ピアノ・ソナタ第三番》は本当によく囀り、喋り続ける。オスカー・ピッツォの演奏だが、これまで特にピアノには求められてこなかったができるだろう…

昼前から神戸映画資料館に籠ってアレクサンダー・クルーゲ特集。TV番組として制作された短篇をセットにした『サーペンタイン・ギャラリー・プログラム』も1974年の『危急の際に中道は死』(同じ1932年生まれの大島渚の1968年あたりの映画と通底するところ多…

柚子も中之島美術館に行ってきたそう。柚子が図録を買っていたので、見ながら夕食の前に立ち話をする。人の壁で近くで見るのを諦めて私は素通りした佐伯祐三はやはりとてもよかったという。絵の具の厚みと筆致の残し方がとても今っぽくて好きだった原勝四郎…

中之島美の開館記念展をざっと見て、招かれて京都まで出る。新居にお邪魔して、久しぶりに親しい友人たちと会って、おいしい手料理をいただいて、歓談に耽る。とても楽しくて、あっという間に数時間が過ぎる。名残惜しい。

駅のコンビニでリュビモフの七枚組のボックスを引き取ってくる。ジグザグレコードから出ていたものだが、曲目リストとCDだけが入っている何もないとてもシンプルなもので、最初に出ていたときについていた録音時の写真とかリュビモフのコメントなどが載った…

クォン・ウンビの新曲《ESPER》のMVを繰り返し見ている。煙る夜の森の中を、手を引いて走る赤ウンビと白ウンビのショットの美しさ。 早く帰ってくると晩御飯を食べても映画が見られる。Netflixで前田弘二の『まともじゃないのは君も一緒』を見る。きっちりと…

ジョージ・マカーリの『心の革命』を読んでいる。シャルコーなどに比べるとフロイトなんかまるで端役で、あとはヘルムホルツぐらいしか私は知らない一九世紀の独仏の科学者たちの脳と心の探究が開巻からずらりと紹介されてやがて途方に暮れ始めるが、この分…

ゴミ袋を作りながら戦場になったウクライナのどこかの街の映像がTVのモニタに映っているのを見ている。スピルバーグの『宇宙戦争』と初期アンゲロプロスから甚大な影響を受けたようなルックの映像には、灰色の空を背景にひょろ長く冬枯れている街路樹の下を…

夕食のデザートが苺だった。練乳をかけて柚子と食べる。器に残った残った練乳に熱いジャスミン茶を掛けて飲む。去年も同じことをした。また春が来たのだ。

日記を書くことを思いつかなかったり帰ってきて晩飯を食べるところころと眠ってしまっていたこの間、戦争の報道は横目でちらちら見るぐらいにしていても、しばしば強烈な映像が飛び込んでくる。魅了されているのか。そういえばあの本はそういう本だったと思…

戦争が始まる。戦争なんかどこでもやっているというのは簡単だが、ドニエプル川の畔で大規模な侵攻作戦によって展開されているらしい戦争が始まるのは普通ではない。帰宅してからニュースを見ている。柚子はうたた寝をしているが、私はどんどん鬱っぽくなっ…

上野修の『スピノザの世界』を読み終える。哲学書を読んで、そこで展開される思考があまりに異様で笑ったのは久しぶり。最後は少し泣きそうになった。全く判りやすい本ではないが、とても平易に書かれている。それはたぶんスピノザの哲学のかたちと同じなの…

カメラキャップはヨドバシの通販でSIGMAの純正を取り寄せた。当たり前だがぱっちり嵌まる。どこにも傷はないのがちょっと寂しい。 戦争とパンデミックの時代にこの齢で生きることになるとは。

どぶ川の上で写真を撮っているとカメラキャップを落としてしまって、コロコロ、どぼん。すぅーっと流れされていった。 写真を撮っているのは、少なくとも私にとっては、それがスリーコードだけのパンクだからだ。 神戸映画資料館でフレデリック・ワイズマン…

上野修の『スピノザの世界』は決して簡単な本ではない。なぜなら私の「知性は、こう言ってよければ学者の議論で病んでいる」からである。だから第二章の「真理」は朝、風呂の中で二度読みなおした。このあと何が書いてあるかをおぼろげに判ってから再読して…

これはやはりオーヴァードーズだと思ったので、プリーモ・レーヴィを置いて、上野修の『スピノザの世界』を読み始める。

健康診断であと10キロは痩せなさいと言われる。写真を撮るため新今宮から出て、そこらをほっつき歩く。古本屋で昔の『美術手帖』が200円均一で積んであったので数冊買って鞄に入れる。昔の『美術手帖』は広告も多いが文字も多い。早見堯や峯村敏明の批評は今…

雪は止んでいてすっきりと晴れている。カメラをぶら下げながら、浅草橋の西口のホテルを出て神田川は柳橋を渡り、隅田川は両国橋を渡る。首都高が川の上に作られているその美に改めて感嘆しつつ両国を抜けて小名木川も渡り、清澄庭園に至り都現美に。クリス…

昼からずっとPCの前で仕事をしていて肩がバキバキに凝る。 ガールズKPOPのMVとかファンカムばかり見ているが、ちょっと物足りなくて、結局、何度も繰りかえし見たクォン・ウンビのファンカムを見ることになる。 須田亜香里とクォン・ウンビはどちらも、焦点…

前川恒雄の『移動図書館ひまわり号』を読み終える。末端から中央に向かって橋頭保を地道に広げてゆくシステム形成の革命への、前川の自負も脅えも書き込まれている。もう二度と繰り返されることはない奇跡の軌跡の書として、教条的に祀り上げて読むのではな…

芦屋市立美術館で「限らない世界/村上三郎」展を見る。 四国三郎は日本屈指の暴れ川のひとつである吉野川の異名だが、村上三郎もまた凄まじい激流である。村上三郎と言えば紙破りで、それは紙を突き破って飛び出してくるパフォーマーと、そのアクションの痕…